名高い桟(かけはし)も、蔦のかずらを頼みにしたような危い場処ではなくなって、徳川時代の末にはすでに渡ることのできる橋であった。新規にとできた道はだんだん谷の下の方の位置へと降って来た。道の狭いところには、木を伐って並べ、藤づるでからめ、それで街道の狭いのを補った。
長い間にこの木曽路に起こって来た変化は、いくらかずつでも嶮岨な山坂の多いところを歩きよくした。そのかわり、大雨ごとにやって来る河水の氾濫が旅行を困難にする。そのたびに旅人は最寄り最寄りの宿場に逗留して、道路の開通を待つこともめずらしくない。
(島崎藤村「夜明け前」序の章より)
1872年(明治5年)信州木曽の馬籠に生まれる。本名は春樹。生家は馬籠の本陣・庄屋・問屋をつとめる名家で、父は17代当主。